大判例

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東京地方裁判所 昭和36年(わ)4863号 判決 1966年12月14日

被告人 居村方治

主文

1  被告人を罰金三万円に処する。

2  右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

3  ただし、この裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。

4  領置してある「The Memoirs of Dolly Morton 」と題する書籍一五一冊(昭和三七年押一〇四号の一ないし四)を没収する。

5  訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(認定事実)

被告人は、いずれも販売の目的で、

第一、昭和三四年五月ごろ、東京都中央区銀座五丁目四番地イエナ精光株式会社で、内容全般にわたつて露骨詳細な性交、性戯に関する描写記述がある別表(一)記載の英文書七種類合計一九四冊を、そのような内容のものであることを知りながら保管し、

第二、昭和三五年一〇月初めごろ、別表(二)記載のとおり同都港区赤坂青山南町六丁目五〇番地本流株式会社ほか四カ所で、前同様の内容の英文書「The Memoirs of Dolly Morton 」二六〇冊(主文4の書籍はその一部)を、そのような内容のものであることを知りながら保管し

もつて、わいせつの文書を所持したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

第一、第二の各事実は、それぞれ包括して刑法一七五条、罰金等臨時措置法三条一項一号にあたる(いずれも罰金刑選択)。両事実は刑法四五条前段により併合罪であるから、同法四八条二項による。

同法一八条(主文2)。同法二五条一項(主文3)。同法一九条一項一号、二項(主文4)。刑訴法一八一条一項本文(主文5)。

(弁護人の主張について)

当裁判所は、本件各書につき、当然のことながら、その原文自体を精読して、充分に検討を加えた(証拠7の各書籍は、第一事実を組成する書籍そのものではないが、第一事実の各書とおなじ内容のものであると認める)。

これらの書物の内容は、A Woman Doctorは、のみの回想録の形式で少女をめぐる神父たちの醜悪な性行為などを描いたものであり、The Adventures of a Little Girl は、少女の手紙の形式でそのさまざまな性的経験を語るものであり、The Book of Loveは、女王が実演入りで女性のための性典を講義するという形式のものであり、おわりに、少年の人妻との性的経験を描いた小品が付いている。Honey Moon(The Debauched Hospodar)は、主人公の非現実的で醜怪、残虐をきわめる性的諸行為を綴つたものであり、The Secret Storiesは、学生たちが交互に最初の性的経験を語るという趣向のものであり、The Simple Tale of Suzan Aked は、無邪気であつた少女がロンドンにきてさまざまな性的経験をする物語であり、Market of Human Flesh は、主人公の次第に背徳的、悪魔的になつてゆく性的諸交渉を内容とする小説である。最後に、The Memoirs of Dolly Morton は、南北戦争時代のアメリカ南部における奴隷農園の状況などを背景にして、女主人公の性的諸経験その他を描いた物語である。

これらの各書は、いずれも、性戯、性交に関する場面を主要な内容とするものといつてよく、そのいずれも、これらの場面を性器の形状や動きまで詳細に描き出し、行為者の体の動きなども微細な点にいたるまで具体的に表現するといつた方法で、きわめて露骨に描写している。そして、その題材としては、書物によつて差異はあるが、鞭打ち、殺人などの残忍なサデイスト的行為や、同性愛など性的倒錯行為をはじめ、乱交、輪姦、赤子に対する強姦、父親の実の娘に対する姦淫など、異常醜悪な性的行為を随所に取り上げているのである。このような内容からすれば、本件各書は、いずれも、単にエロテイツクな書物であるにとどまるのではなく、性器や性行為の露骨な描写によつてもつぱら読者の性的興味に訴えるいわゆる春本であるというほかはない。もつともThe Memoirs of Dolly Morton とMarket of Human Flesh の二書、特にその前者は、他の各書が明白すぎるほど明白な春本であるのに比し、社会ないし人間についての顧慮に値する考察、描写を含んでいるけれども、これらの小説も、その重点は明らかに性的行為の問題なく露骨をきわめる描写にあるといわざるをえないのであつて、やはり、全体として、右にいう春本のわく内に入るものといわなければならない(前者の訳書と称する「南北戦争」昭和三七年押一〇四号の五は、性的場面を原文とはまつたく変えて書いているのであり、これによつて原書の内容を判断することはできない)。

もとより本件各書は英文のものであるから、英語を母国語としない日本人の場合には、右のような性的描写を読んでも、英語と日本語の表現法や語感の相違のために、英米人の場合よりもそこから受ける感じや刺戟が相当緩和されることはいうまでもない。しかしながら、本件各書は前記のように性戯性交に関する場面をきわめて露骨に、また具体的に描写しているのであるから、充分にこれを読みうる日本人に対しては(英米人に対する場合と程度の差こそあれ)、その性欲を刺戟し興奮させ、かつ、いわゆる羞恥嫌悪の情を抱かしめるに足りるものであることを率直に認めないわけにはいかない。

本件各書は、広告宣伝もなされず、目立たないように配慮されていたとはいえ、相当部数が書店の店頭に陳列され、一般人を対象に販売に供されていた。もつとも、英文であるためその読者がおのずから限定されることはいうまでもないけれども、その英文は、書物によつて多少相違があるが、いずれも比較的平明であり、現代的であつて、古めかしい言葉や言いまわしのために特に読みにくいというようなものはなく、我国の英国教育の普及度からみて、その読者がそもそも公然性を否定される程度に特定しているとは到底いうことができない。そして本件の場合には、その販売状況から明らかなとおり我国に在住ないし旅行する外国人が多数購入している事実も看過しえない。たしかに、本件各書を楽に読みうるほどの日本人ならばこれらからそれほど悪影響を受けることがないであろうし、外国人は我国の刑法が特に保護の中心においているものでもないけれども、前記のようにいわゆる春本であると考えなければならないような内容の書物であるかぎり、それが店頭に並べられ、我国の社会がおのずからその構成員の中に取り込まざるを得ない外国人をも含めて、不特定多数者間に公然と売れていくという状態自体が、わいせつ罪の保護法益とする我国社会の性的な秩序ないし風俗を退廃させ、堕落に導くものといわなければならないのであつて、本件各書が英文であるがゆえに我国の社会に全く無害であるということはできないのである(なお、「わいせつ刊行物の流布および取引の禁止のための国際条約」昭和一一年条約三号により、我国を含む各国は、わいせつ刊行物の流布を妨げるための国際的協力を約しているのであつて、もし外国語でありさえすれば、どんなにわいせつな内容の書物でも国内における流布を一切禁じることができないものとすれば、ひいては、この条約の精神に反する結果となることにも、留意しておく必要がある)。

さて、刑法一七五条にいうわいせつ文書とは、要するに、性欲を刺戟し興奮させるような内容をもつものであつて、全体的にみて、当該社会の健全な社会通念に照らし、普通人の正常な性的羞恥心をいちじるしく害するものであるため(すなわち性的事実の非公然性に関する当該社会の善良な風俗にいちじるしく反するものであるため)、その公然たる流布等を禁ぜざるをえないような文書をいうものと解すべきであるが、外国語の書物でも、場合によつてこれにあたることがあるものと考えなければならないのであり、前述のような諸条件をそなえる本件各書は、結局、右にいうわいせつ文書にあたることを肯定せざるをえないのである(外国語の書物の場合には、日本語の書物にくらべ、社会の風俗への影響の度合がおのずから異なるから、わいせつ文書として社会的規制を要することになるのは、その内容の特にはなはだしいもの、すなわち前述の意味におけるいわゆる春本-英語でいうhard-core pornography -に限るものというべきであつて、本件各書は、前記のようにいわゆる春本とみるべきものであるからこそ、わいせつ文書にあたることになるのである。従つて、たとえ日本語による忠実な訳書が、現在の我国の社会通念に照らしてわいせつ文書にあたるものとされる場合であつても、その原書ならばわいせつ文書にあたらない場合が充分に考えられる。例えば、Lady Chatterley′s Loverその他これに類する英文の文学作品は、わいせつ文書にあたらないものと解すべきであり、また、きわめて旧時代的な文体や表現による古典的な英文小説であれば、多くの性的描写を含んでいても、わいせつ文書にならないものがありえよう)。

そして、被告人による本件各書の仕入販売の状況およびその際の関係者の言動、その他被告人の学歴経歴などから、被告人は、本件各書が性戯性交に関する詳細な描写のある前述のような性質の書物であることをすくなくも未必的に知りつつ、あえてこれを販売しようとしていたものと認めざるをえない。

そうすれば、被告人が本件各書を販売しようとして所持した行為は、刑法一七五条にあたるものといわなければならないのでる。

(量刑について)

被告人の行為は、前記のとおりわいせつ文書所持罪にあたることを肯認せざるをえないものではあるが、宣伝広告もなく、文書の数も比較的少数にとどまつたし、特に英文であつたことから、社会に対する影響や危険はそれほど大きかつたとはいえない(第二事実の書物は、前記のようにわいせつ文書とみざるをえないものではあるが、そのような書物の中では、比較的真面目な意図を伴う物語である)。被告人が類似の書物につきすでに検挙があつたことをうすうす知りながら本件第一の行為をし、これが検挙の対象となつた後に、さらに第二の行為に及んだことはたしかに悪質とみられても仕方のないことではあつたが、被告人としてみれば、本件のような英文の書物がわいせつ文書として取締の対象になるべきものであることについて明確な認識をもたなかつたのであり、また、実際に、英文の書物でもわいせつ文書になりうるということはこれまで本格的な裁判によつて明らかにされたことがなかつたのであるから、右のような経緯があるからといつて、被告人を一概に責めることはできない。

そして、本件がいずれも六年ないし七年前の事件であつて、被告人がその後は真面目に地道な出版物販売の仕事に励んでいることなど諸般の事情を考慮して、主文の刑を量定した。

(裁判官 戸田弘 北沢和範 永山忠彦)

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